正しさのどちら側に座るかということ // 村田沙耶香『殺人出産』

先日単行本が発売になった村田沙耶香の『殺人出産』。文芸誌では群像2014年5月号ですでに発表されている。ちょうど手許に5月号があるので、遅ればせながら読んでみることにした。これはなかなかの問題作だ!
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作者について

村田沙耶香は1979年生まれ。玉川大学文学部芸術学科芸術文化コースを卒業後、2003年に『授乳』で群像新人文学賞優秀賞を受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞を受賞している。

本作の概要

『殺人出産』は、少子化問題解消のために、子どもを10人産む代わりに、だれでも好きな人を1人殺すことができるようになった近未来の日本を舞台としている。こう書くと、ひとを殺すことが許されるのは、いのちを生み出すことができる女性だけかと思われるかもしれないが、生命科学の発達により、人工子宮で男性でも出産ができるようになっているので、男女の性差というものはこの小説ではまったく問題とはならない。
むしろ問題となるのは、人を殺してはならないと教えられた旧世代と、人を殺すことは新しいいのちを生み出すことであり、尊敬の対象となる行為だという新世代とのあいだで、「正しさ」はどちらの側にあるのかということである。旧世代の代弁者として、主人公育子の同僚・早紀子が存在し、新世代の代弁者として、育子の姉・環や従妹のミサキが登場する。そして、主人公を軸として物語が進行していく中で、「正しさ」というのは依って立つ社会のその時その場の価値観に過ぎないという作家の声が大きく聞こえるようになったところで、ひとつの殺人が成就し、主人公にとっての「正しさ」が決定的になると同時に、物語は幕を閉じることになる。

感想

主人公の姉・環は、幼いころ、突き動かされる己の殺人衝動をひた隠しにして生きていた。しかし、人口を増やすために人を殺すことが正しいとされる世の中になってからは、環のような人間が羨望と畏敬の対象となり、代わりに、殺人を糾弾し、自然出産を主張する早紀子のような人物の方が「かわいそうな人」として憐れみの対象となる。この価値観の転換は実に鮮やかで、メディアを通じて「人を殺してはいけない」「愛する人といっしょになって子どもを育てる」という価値観を過度に浴びせられているぼくたちの拠り所である社会が、一皮むけばいかにもろいものであるかということを浮き彫りにする。
また、ストーリーとはあまり関係ない設定ではあるが、「10人産んだら1人殺せる」という制度とは別に、従来の殺人もあるにはあって、ただ、そのような殺人を犯した者については、「産刑」という、死ぬまで刑務所でこどもを産み続ける刑に処されるというアイディアにもやられた。ひとを殺した者を無駄に殺してしまうなんてまったく合理的ではなくて、ひとを殺した分、あらたないのちを産ますのだという「産刑」は、近代刑罰論における応報刑論と目的刑論という凝り固まった考え方を一度ぐちょぐちょにしてしまうおもしろさがある。
ひとつもったいないと思ったのは、「10人産んだら1人殺せる」という制度が「海外から導入された」と説明されるだけで、それ以外に、世界全体をグローバルに見渡すような視点がないことだ。よくよく考えてみれば、少子高齢化は日本が抱えている問題ではあっても、世界規模で考えれば人口はむしろ増えすぎることが問題となっているのであり、GRANTAなど海外でも注目されつつある村田ほどの書き手であれば、海外読者も意識して、もう少しスマートに「日本の特殊性」が書かしめた小説であるように装うことができたのではないかと思った。おそらく、若者のあいだで昆虫食が流行しつつある、という設定は、世界規模の食糧難という問題意識を汲み取っているのではあると思うのだが。
全体の尺としては、中編という尺は中途半端だったのではないかと思う。もっと設定を練って壮大なSF長編に仕立て上げるか、思い切り短い短編にするかの方が、読者をより良い小説体験に誘うことができただろう。


『殺人出産』講談社
村田沙耶香

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